Will You Still Love Me?

「心に残る映画」と聞かれたら、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』だ、迷わず。あと、クリスチャン・スレーター主演の『今夜はトークハード』も捨てがたいけど。

「忘れ難い楽曲」はありすぎて困る。そのなかでも CHICAGO の「Will You Still Love Me?」はいっとう印象深い。持ってるのはヴェスト盤の『Chicago Greatest Hits 1982-1989』だ。好き嫌いはあろうが、David Foster のプロデュースは「妥当」。それは、Motown の方法論や、近しい例では BLONDIE に「Heart of Glass」を歌わせた Mike Chapman の慧眼と通じる。陳腐。しかし、届いてしまう。このCDを聴いていたのはまたしても大学生のころ。それも3回生。その年の夏、N.Y. に行った。目的は、なかった。ただ、行ってみたかった。そこは世界一の街だと言われていた。アシアナ航空の格安チケットを H.I.S.で購入し、23時間かけて、ソウル⇒アンカレッジ経由というバカバカしいほど回りくどい航路を取り、JFK に降り立った。1998年。情景はいまでも鮮明。そこでなにがあったのか? 考察に値する。

人生というやつに分岐点があるとしたら、間違いなく1997年から1998年の1年間。僕の過去からもしもその1年間が抜け落ちてしまったら、いまの人生は確実にちがう様相を呈していると思われる。決定打は、学生生活になんの意味もない、というありふれた諦観だった。生き地獄。座敷牢。漠然と、いや呆然と過ごす時間だけが、ドブ川に滴り落ちる汚水じみて流れ、この先10年や20年というのは本当にまともな人生なんてのを送れるのだろうか、などと漫然と思いながら、目的地もなく御堂筋を毎日のように歩いていた。

答えには飢えていた。だが、「友人」とか「仲間」うちで取り交わされる欺瞞に満ちた日常を卑下する話題には、心底倦んでいた。そもそも、軽やかに、和やかに、輪になって話すことが苦手だった。むしろ周囲は、僕のことを手負いの狼のように恐れていた。納得だ。いまにも跳びかかってくるような目つきの筋肉質の若造を見たら、だれだって尻込みする。書物に没入するほかなかった。中学3年生の担任だった K 先生が「本を読むなら、古典と呼ばれるものも読みなさい」と諭してくれたことを思い出した。とりあえず、夏目漱石ドストエフスキーサルトル、などを手に取ったりしながら、講義にはお座なりに出席だけして、だいたいは書物と向き合っていた。不思議なもので、いま思い出しても、その当時の風景はすべてが晴れ渡った白っぽい水色の空だ。日本人は文学という土俵でいつも風景に逃げるなどと揶揄されるが、僕にとっての当時の空はただ広いばかり、薄い雲がときどき刷毛でサッと引いたように流れて、やがては墨色に滲んでいく。孤独もなにもない。ただ、そこに「いま」があるだけだった。

NHKの『トップランナー』だったと思うのだが、サザンオールスターズのPVを監督してた映像作家が出演していて、二十代はどう過ごせば良いのか、と尋ねられると「良い映画を見て、良い音楽を聴いて、遊べばいい」と言った。渡りに船。僕は映画のことが知りたかったし、音楽のことを知りたかった。家庭教師を3軒掛け持ちしてお金を稼ぎ、映画館に行き、旭屋と紀伊国屋で書物を漁り、アメ村 Tower Record でCDを買った。そのなかに『Chicago Greatest Hits 1982-1989』があった。買った来歴はなんとなく覚えていて、いま考えるとゾッとするが、トヨタのCMソングとして彼らの代表曲である「Hard to Say I'M Sorry」が使われていたからだ。CHICAGO は定石のバンドであったということもあり、勉強がてら購入したものと思う。そのころ、N.Y.に行く予定がだいたい煮詰まってきたころで、3回生だった僕は、まがいなりのも進路らしきものを想起しなければと考えていた。どこまで本気だったかどうかは怪しいものだが。