まだまだ揺れる・・・。

震災から1カ月以上が経過し、当初の恐怖やら不安やらが薄れてはきているのだが、そういう心根を見透かしたように余震が心身を揺らす。「どうなってしまうのか」という暗澹たる気持ちというものは、被災地の方々と比べるべくもない。ただ、「未来は必ず明るい」という考えは確実に持てなくなった。妥当性という考え方をこのごろ好んで使っているのだが、「焦点の合わない漠然とした未来の成功」などという得体の知れない妄想にすがることに疲れたという側面も多分にあろうが、背伸びしたところでケッパづいて、もんどりうって倒れる、ということがよくよく分かってきたのだと思う。着実に作業を積み上げることの重要性を、実験していてつくづく感じるし、立身出世のごとき社会人ライフも間違いなく当てはまらないわけだから、あるがままの「いま」を本当の意味で十全に生きることに集中しようと思えるようになってきた。つまり、価値観というものが大きく揺れて傾いて、別のものに変質しつつあるようだ。望みを捨てるわけではなく、願いを持たないことを企図する。そうすれば生きやすいかもしれないと思うのだ。