「03.11」以後

3月16日から通常勤務のお達しを受けたが、その日はTXが日中運休だったので「無事故扱い」で出社せず、翌17日から通勤を再開。混雑や停電を怖れ、始発の05:09発に乗る。これが以外とスムーズで06:50ごろ無事会社に到着。行ってみると社員の出社はけっこう疎ら。1週間ぶりに実験に取り組み、ようやく変異体酵素の耐熱性評価を実施。結果は予想通りで安心したのだが、データをまとめはじめた途端、「大停電の怖れ」の一報。やばい。帰宅難民コリゴリ。3月11日は会社に宿泊し、フラックスが流れ出した翌12日の11:00ごろに川崎を出たのだが、秋葉原に到着して守谷の手前で線路が寸断されているという情報に接した。仕方ないので、人波の北千住で快速になんとか潜り込み、利根川を渡った取手から守谷まで歩いて帰ったのだ。青空が冴えわたる南守谷近郊に着いたのが15:30。スーツ姿のビジネスマンたちが歩道をテクテク行くという非日常を体験できたのは得難い経験だったが、如何せん体力がいります。なので、そそくさと川崎をあとに。京急とJRはさほどの混雑はなかったものの、秋葉原はやばかった。ひとの列がロータリーでトグロを巻いており、どこが最後尾か一瞬分からず、かなりビビッた。結局、30分間ほど並んで首尾よく各停に乗れた。なんとか出社して、いちよう仕事ができることが分かった。本日18日もやはり始発にて出社。計画停電も1週間がたち、鉄道各社も運用に慣れてきたのか、昨日より早い06:30に会社に到着。月報と下期個人目標をしたためて本日は16:00に帰宅。計画停電実施中はこのサイクルで回ろうと思う。しかし、原発事故については、みんな相当不安を抱えている。小さい子どもさんを抱えている家庭では、西日本に退避させている場合もあるようだ。フランスはチャーター機を2台遣わして、自国民を無料で本国に退避させているらしい。恐ろしい。普通に考えたら通勤して仕事してる場合じゃない。それでも日本人は仕事をし、混雑すれば整然と列に並び、家路についている。はっきり言って不気味だ。日に日に悪化する原発事故の現場もそうだが、明確な意思決定というのが存在しないで、状況だけが慣性で推移していく。人生はベルトコンベアーなのか? 都内では余震に加え、生活物資やガソリンが不足しており、最近子どもができたばかりの Y 課長は、高層マンションの揺れの激しさも関係しているのか、不安で限界だ、などとつぶやきつつ、表情を青くしていた。僕は基本的に怖がりで直観と本能ですべてを判断するが、Y 課長は情報収集をして分析して判断する。しかし、変数が多すぎれば、そもそも予測なんて立てれない場合が多く、だから判断できずに止まってしまう。かわいそうだが、齢44に到達してしまっているので、思考やら感性は修正不能。まあ、苦しんでください。とりあえず、原発はかなり不安。友人の M に「大阪に疎開したる」とメールを送りつけるほど動揺していたのだが、TVで首相の演説を聞いて若干安心。我らが首相は自信の有無が表情にモロ出るタイプ。発言などから判断するに、原発のトラブルに関してはだいぶ目鼻がついてきた感じなのか。アメリカの 80 km 退避を受けても、政府の出した 30 km 圏内に変更はなく、事態の打開を図るようだ。東北道常磐道が使用できるようになり、自衛隊、警察、消防隊を投入できるようになったのが大きい。IAEA の事務局長は日本人であるし、これ以上状況を膠着させることはできない。また、危険な放射能物質が首都圏近郊に降り注げば、日本の資産価値はダダ下がり。もう立ち直れなくなる。とりあえず、しばらくは坊っちゃん顔の首相の様子を注視しておこう。でも、3連休は逃げる準備を怠りません。この事態を収拾できるかどうかで日本の未来が変わると思うのだ。少なくとも、僕の人生観はずい分と変わってきた。高校3年生のときに「阪神淡路大震災」を経験したが、今回のほうがはるかに被災された方々と共有している部分が多い。原発事故と計画停電により、不安と痛みを少ないながらも理解できるように思う。03.11で日本は変わると思う。良い方向か、悪い方向か、それは各人次第だが、それ以前とは違う運命が開かれたのは間違いない。胸に手を当てて考えるべきことがたくさんある。