科学の方法

期首のいそがしさやら連休やらで手間取っていたが、中谷宇吉郎『科学の方法』をようやく読了した。トーマス・クーン『科学革命の構造』より一般向けに書かれており、読みやすくなっているが、「科学的」な見地とはいかあなるものかというのが俯瞰的に理解でき、名著と呼ばれるにふさわしい。初版は1958年だが、放射能半減期を丁寧に解説しているあたりは、あまりにもタイムリー。執筆当時に原子力の素晴らしさが唱道されていたようで、現在の状況をみて中谷先生はどう思うのだろう、と思いを巡らせてみる。これからも書物を読んでいこうと思うのだが、要約して紹介する練習も必要かと思う。私としては、フォーマットを決めて手際良くやるのがカッコ良い、と感じてしまうのだが、会社で書く研究報告の要旨のようでもまずいような気もする。書き方は考え中である。

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

科学の方法 (岩波新書 青版 313)

疲労

平日が終わなるとかなり消耗している。土曜日は呆然と過ごすことが多く、日曜日もボーッとしている。年齢のせいなのか、いろんなことを深く考えるようになったせいか。ゼロベースで物事を自分の頭の中で組み立てる機会が増えたのはたしかで、本来研究に従事しているのだからそうあるべきだったのだが、ようは楽をして権威に縋って、ちゃんと考えてこなかった。あと、本当に取り組むべき課題が増えたことも事実で、対峙しなければならない戦局が多面的に展開しており、時間の配分と力の懸けどころに気を遣わなければならなくなった。仕事は自分のためにするもんではなく、課題を解決するために存在する、ということがなんとなく分かってきた。そういうことに気がつけたのは、他者や書物の影響ではなく、自分の感性からだ。自分の言葉で語り、自分らしく歩む、という段階に徐々に立ち入ってきたように思う。それで疲れるのならしょうがないと思う。

まだまだ揺れる・・・。

震災から1カ月以上が経過し、当初の恐怖やら不安やらが薄れてはきているのだが、そういう心根を見透かしたように余震が心身を揺らす。「どうなってしまうのか」という暗澹たる気持ちというものは、被災地の方々と比べるべくもない。ただ、「未来は必ず明るい」という考えは確実に持てなくなった。妥当性という考え方をこのごろ好んで使っているのだが、「焦点の合わない漠然とした未来の成功」などという得体の知れない妄想にすがることに疲れたという側面も多分にあろうが、背伸びしたところでケッパづいて、もんどりうって倒れる、ということがよくよく分かってきたのだと思う。着実に作業を積み上げることの重要性を、実験していてつくづく感じるし、立身出世のごとき社会人ライフも間違いなく当てはまらないわけだから、あるがままの「いま」を本当の意味で十全に生きることに集中しようと思えるようになってきた。つまり、価値観というものが大きく揺れて傾いて、別のものに変質しつつあるようだ。望みを捨てるわけではなく、願いを持たないことを企図する。そうすれば生きやすいかもしれないと思うのだ。

博士号を取得するのは大変だ・・・。

表題の件、「なにをいまさら・・・」といった風情もあろうかと思うのだが、社会人の身の上で Ph.D を欲するのは相当に面倒臭いことがよく分かってきた。まず、「発表に足る内容」というものを創出しなければならないことへの重圧はこの上ない。さらに苦しいのは、企業に身と時間を捧げており、少ないとは到底言えないお給金をいただいておるわけであるから、与えられた業務をパーペキにこなす必要あり。すなわち、学生のごとき時間的余裕など望むことができないわけだ。そのうえで、指導教官たる G 教授の求める学術的に「インパクトのある成果」を出すとはなかなか厳しい。しかし、それが僕に与えられた現実である。翻って考えるに、博士号を取るというのは、十人十色、個々人の生き様が出る。ここでコストのことをうんぬんするのは金輪際やめようと思っている。まあ、しかし、G 教授はけっこう言うこと変わりますわ。

今日の天啓

帰り道、KJ 部長と電車に乗った。
「特許はちゃんとやってんのか?」「いや、むずかしそうで・・・」「お前考えてから実験やれよッ」
ハッとした。またアイテムについても、
「早くパートナーを見つけないと。早くしないとダメだ」
と言われた。目が覚めた。意識が分裂してるだとか、実存が乖離しているだとか、そういった学生ッぽい感傷に浸っている場合なのか?
とは KJ さんは言わなかったが、おそらく感じているはずだ。つまり、いまのお前には妥当性があるのか、と。
妥当性・・・。欠如してる。
妥協するのは得意中の得意で、縛られるのが苦手。すれで押し通してきたのですが、仕事の厳しさをはじめて感じました。
いままでいろんなひとたちと邂逅してきたが、これほど仕事に対して自意識を重ねられるひとに出会ったことがない。
H大の S 教授や N さんは自我に殉じているから、僕にも共感できる部分が多く、
普通に尊敬できるのだが、KJ さんは完全に「現象学的」だ。寄り添う信念や思想がない。
「現実主義」という描写がふさわしい。浪漫を追い求めない。
かといって冷たいわけでもなく、とにかく僕がこれまで出会ってきたひとにはいないタイプだ。
世迷言を言ってる場合ではない。これは変わるチャンスにちがいない。真剣勝負をするときが、いま、来たのだ。
やるしかないでしょ。

10年目の期首

2011年度が来た。2002年に入社して、もう10年目。丸9年間、会社に勤めた勘定だ。「03.11」以後、価値観が変わった、と言った。それだけでなく、僕を取り巻く環境も変わった。もうネンネじゃいられなくなった。空間配置を見定めるとか、そういうことが問題になるような季節はとうに過ぎ、自分がなにをしなければならないのか、なにをしたいかといった子どもじみた問いで誤魔化すことなく、真剣に考えなければならなくなった。端的に言うと、自分で考えないと仕事ができなくなった。それだけではない。博士号を取るという目標もある。想像していたより困難を伴うことが徐々に明らかになってきて、重圧を感じるようになった。それに、自分の欠点も、身にしみて分かるようになってきた。僕の悪いところは、やりきることができない、やり遂げる集中力がない性格だ。G 教授にもそう指摘された。Y 課長もそう思っているだろう。すぐに飽きてしまう。それをなんとかしなければ、ないも変わらない。どこにも行けない。中心に確固たる意志を据えてやっていく最後のチャンスだ。自分の人生なのだ。どのように掴み取るかは、自分の意思次第だ。

トーマス・クーン『科学革命の構造』を読み終えたあと、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』に手をつけようとしたのだが、難解すぎて一時撤退を決意。浦賀和宏『萩原重化学工業連続殺人事件』を読み終え、高橋昌一郎『理性の限界』を読んでいる。

2週連続で大阪に行った。1回目はクルマで。2回目は出張で。いろんなことを思い知ったので、のちほど気持ちと頭の整理がともどもついたなら、まとめようと思う。

監獄の誕生 ― 監視と処罰

監獄の誕生 ― 監視と処罰

萩原重化学工業連続殺人事件 (講談社ノベルス)

萩原重化学工業連続殺人事件 (講談社ノベルス)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

畿内行

前々から計画倒れに終わっていた和歌山と大阪へのクルマによる訪問を、閉塞感への鬱憤も手伝って、先週末に決行した。
NHKの「ニュースウォッチ9」を観終わってから、簡単に旅支度を済ませ、愛車のオデュッセイ・アブソリュートに乗り込む。谷和原ICから常磐道に入り、ナヴィに導かれるまま首都高を抜け、東名にのった。計画停電の影響か、高速道路を仄暗く、1週間の始発通勤の疲れも累積しているせいか、すぐに眠たくなり、足柄SAで夜食のラーメンをすすったあとで一休み。かなりの寒さに防寒着をあまり持たなかったことを悔やみつつ、1時間ほど眠った。

目的地は和歌山の海南市。そこに氏神様があるというので、2年ほど前から行こうとしていたのだ。それと、学生のときよく行った「UK」で「ジャンバラヤ」を食べること。運よく記者をしてる友人が休みだというので、双方の嫁はん(それと友人の子ども2人)とともにランチを取った。友人は明日取材のため陸前高田に行き、10日間ほど現地で過ごすというのだ。

しかし、スゴイ旅でした。道中はとにかく寒く、鈴鹿山脈は完全に雪景色。3月も末ですがな。それに、大震災で、東名の上りは輸送のためか、トラックで満杯。吉田のあたりで渋滞していた。「計画停電」の影響で照明も極力控えられており、暗くて眠くなった。

大和郡山で一泊したのだが、スーパーホテルはかなりよく、放射能騒ぎもあったので、近くのオークワでお買い物。物価の安さにビックリしました。守谷より若干安いのではという印象で、首都圏とその外縁は豊かなのではと思った(北関東に含まれる守谷の物価が郡山より高い、なんとなれば、住んでいるひとの所得が高い、といった類推をしたのだと思われる)。なんせハイオクが \10 / L も安いのですから(我が街、守谷、と比較してです)。

ユーケー ワイルドキャッツ 堺大浜店

食べログ ユーケー ワイルドキャッツ 堺大浜店